高校生の時の私の断片
我々は思っているよりも死を近くに体感している。
吹く木枯らしに舞う茶色くしわしわになった葉っぱは、つい一週間前までは確かに木にしがみつき息をしていた。蜘蛛に捕まり体液を吸われた昆虫は昨晩までは元気に羽ばたいていた。
同じように、我々の体を構成する細胞は絶えず死ぬ。突然死ぬ。それも、生まれるより早く。
まだ世間のことなぞ何も知らなかった小さき頃の記憶では、少なくとも私は毎日の始まりを人生の始まりのように感じていた。まあ、今でも人生が始まったと言えなくもないのだが、生まれるより早いペースで死んでゆく細胞を自覚しながらそんな呑気なことは言ってられない。その考えを後押しするかのように、未だその小さき頃の記憶に縋ろうとする私を現実は慈悲もなく社会のある方へ引っ張ってゆくのだ。
無論、死にゆく道に入った体にその引力に抵抗するだけの力など残っておらず、私自身もまた、抵抗するよりは従った方が楽だということを知っているので決して無駄なことはしない。ただ、段々と遠くへ掠れていく生まれていた頃の記憶をぼんやりと眺めるだけだ。
丁度これを書いている今のように。
そうして私は今日も学校の玄関のドアを開けて階段を上り、席について友人、または教師がくるのを身を縮こませて待っているのだ。