go8hi26146’s diary

垂れ流し。心情の吐露。

人間論

枯れて水に浸されて腐った草の匂いなんて人間の死体の匂いと何ら違いない。なのに、私達はその草の上でのんきに座って鼻歌を歌ったりする。こう言ってる私だって、綿やらなにやら、植物の死骸を編んで作った服を着て、見て、これかわいー!などとほざいているんだ。なんて笑える話。おもしろいね。

人間は、自分と同じじゃないモノに、驚くほど冷酷になれる。「人間の本質は善」だと声高に主張する人の中には、人には平等に、肉は食べずに野菜を食べるという人もいるらしい。それが他ならぬ野菜権侵害で、要は自分の自己満足にしかなっていないことと、人間は本質的に自己中心的でないと子孫を残せないことから目をそらして見ないふりをしているのだろうか。

いや、見ないふりをしているのは私かもしれない。こうやって斜めに構えたような物の見方しかしないのに、その物の全てを理解した気でいる私こそ、人間の嫌なところを全て見た気になって本質的なところから目をそらしているだけの節穴なのかもしれない。

……もう何が言いたいのかわかんなくなっちゃったから考えるのやめる

短歌楽しい

無表情の街なら路地裏ゴミ箱の中身の方がよほど鮮やか

 

人生で2番目くらいに気に入ってる短歌です。中学生の時に読んだNO.6という本から連想しました。意味はそのまま、皮肉です。

短歌出したついでにちょっと語りますが、短歌の解釈って一人一人違うから面白いんです。私はこういう意図で作った短歌だったけど、ほかの人から見たら全然違う意味になるんだなとか、そういうちょっとした意識の齟齬がすごく面白くないですか?私は面白いと思います。ああ、この人と私は違う人間なんだなと感じますね。

 

高校生の時の私の断片

我々は思っているよりも死を近くに体感している。

吹く木枯らしに舞う茶色くしわしわになった葉っぱは、つい一週間前までは確かに木にしがみつき息をしていた。蜘蛛に捕まり体液を吸われた昆虫は昨晩までは元気に羽ばたいていた。

同じように、我々の体を構成する細胞は絶えず死ぬ。突然死ぬ。それも、生まれるより早く。

まだ世間のことなぞ何も知らなかった小さき頃の記憶では、少なくとも私は毎日の始まりを人生の始まりのように感じていた。まあ、今でも人生が始まったと言えなくもないのだが、生まれるより早いペースで死んでゆく細胞を自覚しながらそんな呑気なことは言ってられない。その考えを後押しするかのように、未だその小さき頃の記憶に縋ろうとする私を現実は慈悲もなく社会のある方へ引っ張ってゆくのだ。

無論、死にゆく道に入った体にその引力に抵抗するだけの力など残っておらず、私自身もまた、抵抗するよりは従った方が楽だということを知っているので決して無駄なことはしない。ただ、段々と遠くへ掠れていく生まれていた頃の記憶をぼんやりと眺めるだけだ。

丁度これを書いている今のように。

そうして私は今日も学校の玄関のドアを開けて階段を上り、席について友人、または教師がくるのを身を縮こませて待っているのだ。

人間

人間より人間らしく生きていく方が簡単かもしれない。正しいことをして、間違っていることを疎んで、悲しいときには泣いて、楽しい時には笑って。人間って大方こんなもの。だから周りを見て自分のルールをねじ曲げて、自分の感情をこねくり回して、周りからぶれないように、ぶれないように。そうして得たものの重さが軽かろうが重かろうが、今が楽でいたい私には関係ない。「人間らしい人だ」と言われることの楽さに比べたら、多少の窮屈さなんて羽のように存在感がないもの。

そこには無いものをあたかもあるかのように見せかけて、計算ずくめの機械のように処理していくことの人間らしくなさなんて、どうせ私以外の誰にも分からないのだしね。

青いってこと

青春なんてとうに過ぎ去った。スカートのプリーツをヒラヒラなびかせて道路でバカ笑いしている彼女たちと私は2ヶ月しか違わないのに、私はもう少女では許されない。

「果実が赤く実ったって、青かった時の綺麗さと可愛らしさが忘れられないの」

「春がどこかに行ってしまった。まるで何も告げずに遠くに行ってしまった。」

「青くいられる特権は誰かに剥ぎ取られて失くしたから」

これって、言葉では表せないの。虚しくて虚しくて、虚しいなんて言葉ではぽっかり空いた穴は埋められないけどこれしかないからとりあえず虚しいって言って埋めてるの。

私がもう高校生じゃないからって青い形容詞を取り上げられたのを嫌がるように、高校生だからって赤い実を青く塗りつぶされるのを嫌がる人もいるだろうな。そう思って頑張って生きていく。

時の流れは残酷に、私たちを押し流していく。それはさっきまでの私と何も変わらないのにまるで別人のように扱われるもの。それでも私は私だから、別人になった私の中に私を埋め込んで隠しておく。

こんな人生捨ててしまいたいなあ

あんこの話

思ったより書くことないので、ポロッと小ネタでも。

あんこって私、ずっと苦手だったんです。当たり前だけど豆の匂いするし、甘ったるいだけでチョコみたいにちょっと苦かったりクリーミーだったり面白みもなくて。全部同じ味。嫌いなのは今でも変わりません。

でもね、私1回だけあんこを美味しいと思ったことがあったんです。高校生の修学旅行の時なんですけど、龍安寺に行った時がちょうどおやつ時で、せっかくだからなんか食べていこうかということで私はお抹茶とランダムでお菓子が付いてくるセットを頼んだのです。

話の流れ的に分かるでしょうけど、付いてきたお菓子がすごく美味しく感じたんですよ。苦い抹茶と上品なあんこの味のバランスが良くてとても美味でした。そのお抹茶セットを食べた時、私は、あんこって抹茶と一緒に食べるからこんなに甘ったるくしてるんだなって気づいたんです。

世の中には何かとセットにして初めて本領を発揮するものがありますとかなんとか、よく聞くような言葉ですが、私は龍安寺の抹茶セットを食べて初めてその事を身近に感じました。

 

こうやって色々経験を重ねて気づいていくのって歳をとった証拠なんですよ。「あんこ嫌い!お母さん食べてー」が言いづらくなって、これから色んなことに気づいて、真実を知るたびに本音を言いづらくなって、しんどいな、しんどいなと思いながら息をする。でもそのうち息をするのもしんどくなって、色々知りすぎたのが辛くなって、だから人間は死ぬように作られてるのかなと思います。

今回はあんこの話でしたが、これからはもっと大きい真実を知っていかなきゃいけない。

しんどいけど、死ぬまでの辛抱なのでせいぜい息を切らさないように頑張ります。

はじめてみました

ブログ開設しました〜!夢小説にハマった頃からずっとやってみたかったので嬉しいです!

鬱々とした愚痴や暴走した推しカプの話、たまーに詩や短歌や短編小説も上げるかもしれません